平穏堂では”幸せ”を、ある2つの条件を満たした状態だと考えています。
ひとつは”安心”を感じていること。
もうひとつは”ここちよさ”を感じていること。
この2つが揃うとヒトは幸せを感じると考えております。
例1.大仕事が片付いての帰宅後、ちょうどいい湯加減の風呂にはいったとき、ヒトは幸せを感じます。
ここでは”大仕事が片付いて”が”安心”を、”ちょうどいい湯加減の風呂”が”ここちよさ”を感じる要素です。
大仕事が片付いておらず、湧かし損ねた冷たい水風呂に入ったとしたら幸せは感じられません。
例2.自分を慕ってくれる家族との食後の団欒で、ヒトは幸せを感じます。
”自分を慕ってくれる家族”が”安心”を、”食後の団欒”が”ここちよさ”を感じる要素です。
逆に、自分を憎んでいる家族に、自分がお腹が減った状態で睨まれて幸せを感じられるヒトはまずいないでしょう。
例3.セキュリティが確保された部屋の中で、好きなもの(お金でも宝石でも趣味のコレクションでも)に囲まれた状態で、ヒトは幸せを感じます。
セキュリティが確保された部屋が”安心”を、”好きなものに囲まれる”のが”ここちよさ”を感じる要素です。
人通りの激しい屋外で落ち着かない状態で嫌いなものに囲まれればヒトは幸せを感じません。
話を変えますが、他人の幸せを”そんなもの本当の幸せじゃない!”と否定するヒトはその瞬間、不幸せな状態であると平穏堂では考えます。なぜならば他人の幸せを否定する=他人への攻撃であり、幸せなヒトは他人への攻撃するデメリット(=反撃を受けて自分の幸せな状態が破綻する可能性が大きくなる)のほうが大きいからです。逆に不幸せなヒト(=不安を持ちつづけている、あるいは不快を感じ続けているヒト)は他人を攻撃することで不安を紛らわせたり、不快を弱く感じられるようになるメリットが、反撃を受けるデメリットよりも大きくなります。ゆえに他人の幸せを”そんなもの本当の幸せじゃない!”と否定するヒトはその瞬間不幸せな状態にあると平穏堂は考えます。別ないいかたをすれば自分が不幸せな状態にあるから他人を攻撃して自分が不幸せな状態から幸せな状態へ変えようと試みているともいえます。