人に教えるために内観すると疲れにくくなる

こんにちは。平穏堂院長の田上俊和です。

本日の「疲れにくくなる暮らし方」は

人に教えるために内観すると疲れにくくなる」です。

 人に「何かを教える」とは、「自分」が望ましいと思う行動を「相手に」自発的に行ってもらうための準備です。

 そのため、教えるために内観すると「自分はどのような行動を望ましいと定義しているのか?」、つまり、望ましい行動の基準を改めて明確に認識できます。

 望ましい行動の基準を明確にできると、その基準に従い、自分自身を、より望ましい行動に最適化でき、最適化すればその分、疲れにくくなります。

 

 言い換えれば、人に何か教えるために内観するとは、自分自身を「望ましい行動」に最適化する行為であり、疲れにくくなる行為であるといえます。


従って「人に教えるために内観すると疲れにくくなる」となります。

 

次回(9/17)は、「勝ち筋が無ければ撤退すると決めておくと疲れにくくなる」です。

 

○望ましい行動について解説

 

 望ましい行動、それは人にとって当たり前に過ぎ、無意識に行っており、しかし無意識下で普段扱うがゆえに、曖昧なものです。曖昧であるがゆえに、ときに人はその望ましい行動を、自分でも良く分かっていないものですから、「教えられない」状態で、他人に「そのくらい自分で考えろ」と言い、実行を強制します。

 そして結果を見て、「望ましい行動」でなかった場合(結果がでなければ望ましいか否かすら判断できないにも関わらず)、行動できなかった相手を叱責します。

 

 ですが、「教わっておらず」「人の心を読めるでもない」人が、相手の望ましい行動を実行するのはほぼ不可能です。(まぐれ当たりや、お互いの価値観が、偶然良く似ていたならあり得るかもしれません)

 

 不可能な課題の実行を強制されたとき、人はその強制を、自分に対する攻撃であると認識し、反撃します。つまり「教える」行為が不正確に行われたとき、争いが生じるといえます。

 

以上