こんにちは。平穏堂院長の田上俊和です。
本日の「疲れにくくなる暮らし方」は
「自分が誰かを『無能』と呼ぶとき、その目的に気づくと疲れにくくなる」です。
悪口のひとつに『相手を無能と呼ぶ』があります。
その悪口を言う自分の目的に気づくと、より目的を達成しやすくなるか、あるいは目的そのものを取り下げるため、疲れにくくなります。
従って「自分が誰かを『無能』と呼ぶとき、その目的に気づくと疲れにくくなる」となります。
次回(7/25)は、「ときどき前後左右を変えて日常動作を行うと疲れにくくなる」です。
○「相手を無能呼ばわりする」目的
相手を無能呼ばわりする目的と思われるものを列挙し、さらにそれにどう反応すると
疲れにくくなるか考察していきます。
1.自分が『相手にかけた期待』を相手がこなせいため、裏切られた!と感じたとき
この場合、期待に応えるかどうか、また期待を達成する能力の有無は相手次第です。
したがって、期待をかけた側が、相手を無能呼ばわりする権利は存在しません。
また相手には相手なりの思いがあるため、無能呼ばわりされた段階で反発し、
期待をかけた側に対し、潜在的な敵対心を持つ、あるいは明確に敵対します。
もとより双方が合意した契約でなければ、期待を裏切るも何もないのですから、
自分本位で無能呼ばわりするのは相手から見れば不当な攻撃です。
相手から見て不当な攻撃をするのは自分にとっても不利益だ、と気づければ
攻撃欲求を控えられ、結果として疲れにくくなります。
2.自分の無能を相手の無能にすり替えて自己防衛を行う場合
自己防衛のパターンでは、自分が無能だと無意識で感じていて、かつ、その無能さを
直視する勇気をもてないでいるとき、他人の過ちを強く非難することで、自分の無能から
目をそらす力に変えています。
この場合は、何故自分は他人の過ちを強く非難してしまうのか?を認識できれば、
自分の無能から目をそらしているところまでたどり着けます(※)。
そこまでたどり着ければ、他人の無能より自分の無能を何とかするという建設的な結論に
至るため、疲れにくくなります。
(※) 万能感を持っている人は自分は偉いから他人に教えてやっているという態度で、
自分は自らの無能から目をそらしているかも?という仮説にたどり着きません
3.不満をはらすため
何か不満を持っており、他人を攻撃することでその不満をはらしたいという考える場合に、
「他人を無能と罵る」という手段を選択する場合があります。
この場合、不満の発生源をなんとかするのが最も疲れにくくなる解決法です。
しかし、現実問題、そうはいかないことも多々あります。
ただ、他人を悪口で攻撃すれば反撃を喰らってお互い傷つくだけですので、
可能な限り他人を巻き込まない手段で不満を解消すると疲れにくくなります。
4.心の底から他人を無能だと考えているからそのまま発言しただけ
この項は私見です。
この場合、「ではどうなれば自分は相手を有能だと思うのか?」と自問自答し、
その答えが現実に実現可能かどうかを考えられれば多少違うのではないかと私は考えます。
また、人は理想のパフォーマンスを常に発揮することはできず、また人によって持っている
能力も異なるのですから、うまく出来ている別人と比較するのは無意味だと認識できれば、
心の底から他人を無能だと考えることはまずなくなるのではないかと私は考えます。
○まとめ
「任意の目的を達成するのに能力が不足している」ことを「無能」と呼んで思考停止するのでなく
「○○という能力が不足している。その能力を上げて再度試みよう」と考えられれば、
だいぶ建設的に話を進められるのではないかと私は考えています。
以上
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自己肯定感の低い男 (金曜日, 11 9月 2020 13:31)
凄く参考になりました。
あとは、目的がわかるようになれば一つ、一人の人との関係が改善できそうです。
本当か知りませんが本人曰くどこへ行っても要職に就け、
社長の右腕になったりしてい、頻繁に引き抜きに合って、
会社を立て直したりしたと言う20代のプログラマーがいます。
彼は転職の度に頻繁に「どこの会社も無能しかいなくて困る。」
「新人採用で無能ばかりで困る。」
「社長に同情したくなるほど無能しかいない」と言います。
それを育ててみるのも面白いのではないかと伝えると
「私の身になって欲しい、無能にゼロから教えるなんてあり得ない。
30代になって、基礎的なプログラムもかけず、よく今までのうのうと
生きて来れて、恥ずかしげも無くプログラマーの面接に来れたなと思う。
他人の時間を奪うだけの害悪に付き合う時間がどれほど無駄か
貴方にはわからないですか。人生で時間ほど重要な物はない
それをタダで奪い教わろうとする発想は理解が出来ない。専門学校の
学生をアルバイトで雇ったほうがよほど有能。30-40代以上は本当に
ゴミしかいない。」という。
これは3の不満を晴らす行動なのだろうかと悩む。
一緒に酒を飲んでいてこれほど不味いものはない。
私は30代半ばであり、彼の言う「ゴミ」世代である。
かれこれ6年の付き合いになるが、6年成長していない
そんな彼が無能と思えてしまった。
恐らくはIT産業は時間コストの競争が熾烈かもしれない。
だけども、育てる事をせず自分にとって有能な人材を
望むのは、それも無能なのではないか。
そう自問自答して、いや私も他人を無能と思った事への反省。
平穏堂三郷早稲田鍼灸治療院 (金曜日, 11 9月 2020 15:12)
ブログ主です。自己肯定感の低い男さん、コメントありがとうございます。
「凄く参考になりました」とのこと、大変嬉しく存じます。
私の記事が切っ掛けでくだんの方と関係が改善されればそれも嬉しく存じます。
そのうえで頂いたコメントに対して私の感じたことを以下に記させていただきます。
くだんの方は恐らく4の「心の底から他人を無能と感じている」ヒトだと思います。
正解はそのヒトにしかわかりませんので推測でしかありませんが、自己評価が高く、
他者は自分の足を引っ張ることしかしないと考えているのではないでしょうか。
他者を無能と感じていると発言することは該当対象への攻撃に他なりませんので、
それを聞いていて酒を不味く感じるのは至極まっとうな感性だと私は思います。
そして自己肯定感の低い男さんがくだんの方に対して無能と感じたのは
1の「相手に対する期待を相手がこなさなかったため」裏切られたと感じたのではないかと私は感じました。
前提として、6年たとうが10年たとうが、成長するかしないか、および有能な人材を育てるかどうかの選択権は、くだんの方の人生なのですから、くだんの方「だけ」が持ちます。
また2つ目の前提として価値観はヒトによって異なります(二人が全く同じ人生を経験できないことから自明)。
しかしながら自己肯定感の低い男さんは恐らく「ヒトは成長し続けるべきだ」「自分にとって有能な存在を望むならば育てるべきだ」という価値観をお持ちで、くだんの方も同一の価値観を持っていて然るべきだ、という価値観もお持ちであるように見受けられます。
従って自己肯定感の低い男さんは「自分の期待通りに動いてくれない」くだんの方に対し「裏切られた」と認識し、その結果「無能」と思われたのではないかと私は思います。
以下は私が自己満足で書きます。
従いまして自己肯定感の低い男さんは以下を無視して問題ありません。
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もし私が自己肯定感の低い男さんの立場であれば2つの行動選択肢を用意してくだんの方との関係改善を図ります。
1.そもそも飲みに行かず最低限のビジネス上の付き合いだけ行う。
2.飲みに行くのであれば初手で相手の愚痴を聞かないことを明言、そののちに酒が美味しくなる話題だけで話す。
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改めてコメントありがとうございました。
自己肯定感の低い男さんの今後に大きな幸いがありますように。