こんにちは。平穏堂院長の田上俊和です。
本日の「疲れにくくなる暮らし方」は
「誤った際は即時に訂正・謝罪すると疲れにくくなる」です。
人は全てを誤らずに生きることはできません。
そのため、どんな人でも誤った行動について、訂正・謝罪が必要になります。
そして謝罪・訂正を、「即時」に行うことで、誤りの影響範囲が最小限に抑えられます。
影響範囲が最小限ならば、修正する労力も最小限に済みますから、疲れにくくなります。
従って「誤った際は即時に訂正・謝罪すると疲れにくくなる」となります。
次回(6/19)は、「正逆両方の視点を持つと疲れにくくなる」です。
○『明らかな誤ちを犯していても謝罪・訂正をしたくない人』に対する私見
人のなかには「自分の誤りが明確でも、絶対に訂正・謝罪したくない」と欲する人がいます。
その人の世界観は「訂正・謝罪すると自分の価値が無くなる」というものです。
その世界観を持つ人たちにとって、訂正・謝罪は自死に等しいため、受け入れようがないのです。
その世界観を持つに至った経緯は人それぞれだと思います。ただ、私はこう考えています。
まず、世界観を持った時期は、人が自らの性格を選択する「小学校高学年」頃。
そして詳細としては、誤った行動をとったとき、素直に認め謝罪したのに、周囲から鬼の首を
とったかのように囃し立てられるという経験が、幾度となく繰り返された、のではないかと思います。
「子供」は、他人の「行動」と「存在」を分けて考えられず、「行動」がおかしければ
「存在」も否定して良いと考えています。
それゆえに、「子供」は謝罪した人間は全人格的に吊し上げて良いと考えてます。
社会人である我々は、人の「行動」と「存在」が別ものであると認識できているため、
相手の行動を批判しても、相手の存在(=人格)までも否定することはありません。
○もう一つの私見「相手を攻撃する手法の一つとしての、『行動批判と人格否定』の合わせ技」について
行動批判から人格否定に移るのを能くする人は、思考方法を子供時代から変化させていません。
それは、相手を攻撃し下げることが、自分の価値を感じられる(=自分の価値を上げる)ための
最も効率的な手法である、という世界観を持っているからです。
相手を攻撃するという目的において、行動批判と人格否定を関連付ける方法は最善手です。
なぜ最善手か。行動批判は相手の罪悪感を煽ります。そしてその罪悪感を感じて弱っている相手に
対し、人格否定を植え付けることで、相手が自らを攻撃するよう仕向けられるからです。
言い換えれば、自分(攻撃側)の力だけでなく、「敵」である相手の力も使い、かつ相手の
外内両面を攻撃できるから、です。
攻撃に使った力は一点に集中しますし、全くもって効率の良い攻撃方法です。
内省的な人ほど、この手法の毒牙に掛かりやすいです。
この攻撃方法への対策は、「自分の存在を受容すること」です。
他人から人格否定攻撃を受けても「行動は確かに悪かった。だが存在そのものを否定される謂れは
無い」と考えられれば、攻撃は無効になります。
以上
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