公憤と私憤を分けられると疲れにくくなる

こんにちは。平穏堂院長の田上俊和です。

本日の「疲れにくくなる暮らし方」は

公憤と私憤を分けられると疲れにくくなる」です。

 人は自分の価値観に反するモノを見聞きすると憤ることがあります。

 このとき、公憤、つまり自分の利害とは関係なく憤るとき、と、私憤、こちらは直接自らに利害関係があるために憤るとき、の2つがあります。

 

 ニュースか何かを見たときに憤るのは公憤、誰かに迷惑を掛けられたときに憤るなどは私憤です。

 そして人は、私憤を公憤に取り違え、敵を大きくするときがあります。

 

 例えば自分の彼氏彼女から意に染まぬ言動を受けたとき、「男は(女は)なんでそんなことをするのか」と憤る対象を大きくすることがあります。これは『経験を一般化することでその経験知識の応用範囲を広げる』という目的を、人が無意識的に持つからです。

 

 そうして私憤を公憤へ一般化してしまうと、無意味に敵を大きくし、憤りも大きくなります。

 憤りが大きくなると気力体力の消耗も大きくなるため疲れやすくなります。

 

 ここで、私憤を意識して一般化させないようにすると、気力体力の消耗を相応の大きさに留められるため、疲れにくくなります。

 

従って「公憤と私憤を分けられると疲れにくくなる」となります。

 

次回(4/26)は、「人格を認めあえると疲れにくくなる」です。

 

以上