理不尽さは主観による産物であると気づくと疲れにくくなる

こんにちは。平穏堂院長の田上俊和です。

本日の「疲れにくくなる暮らし方」は

理不尽さは主観による産物であると気づくと疲れにくくなる」です。

 物事自体は無色です。物事に色を付けるのはそれに直面した人間です。

 また、物事は必ず道理に従い起こります。無理に起こることはありません。

 そのため、物事は理不尽に起こることは無く、理不尽だと感じるのは、その人がそう感じたからにすぎません。

 

 人が出来るのは直面した物事に、「どう対応するか」を決め、実行することだけです。

 

 例えば、人の才能はそれぞれ異なるという事実があります。

 それに対し「なんでこんな真面目にやっている自分に才能がなくて、不真面目なあいつに才能があるんだ!理不尽だ!!」と感じるのは、その人の主観によります。

 

 人に出来るのは自らの設定した目的を達成するために適切な手段を実行し続けるだけです。

 他人との比較や、うまくいかないのは理不尽だ!と憤る必要はありません。

 

 その出来ることに気付かず、「直面した物事」でなく「理不尽さ」と戦おうと考える人もいます。実際には「理不尽さ」は主観の中にしか存在しない非実在存在であるため、非難しても無意味です。つまり非建設的な行動です。非建設的な行動を続ければ成果は出ず、疲れやすくなります。


 纏めると「理不尽さ」が主観による産物であると気づき、「理不尽さ」は非実在であると認知できれば、「理不尽さ」と戦うという非建設的な行動をとることもなく、疲れにくくなります。

 

従って「理不尽さは主観による産物であると気づくと疲れにくくなる」となります。

 

次回(4/25)は、「公憤と私憤を分けられると疲れにくくなる」です。

 

○奇跡と理不尽についての私見

 

  私見ですが、人は、自らの理解のできない出来事を、自分に都合がよければ「奇跡」だと感じ、

 都合が悪ければ「理不尽」だと感じるのではないかと考えます。


以上