こんにちは。平穏堂院長の田上俊和です。
本日の「疲れにくくなる暮らし方」は
「自分と異なる価値観を持つ人を『下げる』のを止めると疲れにくくなる」です。
人は往々にして自らの価値観と異なる人や言動に出会うとその相手を『下げる』ことがあります。
相手を『下げる』具体的な言葉には「魂のレベルが低い」「親のしつけが失敗したんだね可哀想」
「頭おかしいんじゃないの?」「親の顔が見てみたい」などがあります。
自分と異なる価値観を持つ相手を『下げる』のは自己防衛のためです。
つまり、相手に正当性があるのであれば、相対的に自分が間違っていると認めなくてはならない、
だから相手に間違っていると認めさせ、自分の正当性を担保したい、いう思考です。
『下げられた』相手から見れば、いきなり『下げられる』のは不意打ちの攻撃に他なりませんから、
反撃します。
このとき、『下げた』側に反撃を受ける覚悟があれば被害は少なくなります。
しかし、相手を『下げる』状況では、自らの正当性を信じて疑うことはありませんから、
反撃を受ける覚悟はまずありません。そうなればおたがいの攻撃は防御無しで当たるため、
防御しあった状態よりも傷つく度合が高く、消耗も大きくなり、疲れます。
ここで『自分と異なる価値観を持つ相手』に対し、『そういう価値観もある』と認められれば
『下げる』必要が無くなります。『下げる』必要が無ければ攻撃せず、従って反撃も受けず、
傷つくことが無くなりますから、疲れにくくなります。
従って「自分と異なる価値観を持つ人を『下げる』のを止めると疲れにくくなる」となります。
次回(3/31)は、「『一旦横におく』と『投げ出す』は違うと気づけると疲れにくくなる」です。
○自分の価値観と異なる他人の価値観を認めることの他のメリット
自分の価値観と異なる他人の価値観を認めることには疲れにくくなるほかにもメリットがあります。
それは、自分の価値観が、なぜそう形作られたのか?を見直せる、ということです。
他人の価値観を認めるには、自らの意識内で、他人の視点・考え方を模倣し、
他人が何故その価値観に至ったのか?という経緯を理解し、納得する必要があります。
その手順の中で、自らの価値観と他人を価値観を比較する必要が出てきます。
そして比較するうちに同じ事実を経験しているのに、異なる印象や真実を見出していることを
発見できます。その印象や真実の差が何から生まれているのかを自らに問いかけることで、
自らが持つ「色眼鏡」(=認知バイアス)のより深い部分を意識できます。
その「色眼鏡」が後の人生で有用なものか、害のあるものか、はたまた無用なものかは、
発見した時点では確かではありません。ですが、いったん気付けば、「自分はこういう色眼鏡で
物事を見ていたが、正当なものだったろうか?」と懐疑的に見直すことができるようになります。
懐疑的に見直すことが出来れば、より状況に応じた価値観を創り出すことができるようになります。
以上
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