永久に強者であるモノは無いことに気づくと疲れにくくなる

こんにちは。平穏堂院長の田上俊和です。

本日の「疲れにくくなる暮らし方」は

永久に強者であるモノは無いことに気づくと疲れにくくなる」です。

 平家物語にもあるように、この世は「盛者必衰」、永久に強者であるモノはありません。


 永久に強者であるモノは無いことに気付けば、自分が強者でなくなり、弱者となったときに

食い散らかされないよう、無闇に敵を作ったり恨みを買う言動行動をとらなくなります。

そうすれば、自然と仲間を作るように動き、その結果、目的を達成するための負荷を仲間うちで

分散できるようにもなるため、疲れにくくなります。


従って「永久に強者であるモノは無いことに気づくと疲れにくくなる」となります。

 

次回(2/26)は、「早めに損切りすると疲れにくくなる」です。


○強者と弱者で対人関係を捉えると、敵対関係が生じる


   人は強弱で対人関係を考えることがあります。


   そして、自らを強者であると考えている場合、弱者を踏み台にすることがあります。

   そのとき、性格にもよるでしょうが、特に感情を動かすことはありません。


   逆に、自らを弱者であると考えている場合、強者に踏み台にされたと「感じた」(※)場合、

  その強者に対し、強い負の感情を持ちます。その負の感情は、踏み台にされた側にとっては

   「正当」であり、第三者から「不当」だと云われても覆ることは多くありません。


     (※) 第三者や強者から見ると、踏み台にした心算は無くとも、

        弱者本人が「踏み台にされた!」と感じた時点で

        (弱者から見て)「正当な」負の感情が生じます。

        私見ですが、感情の発生が各人の世界観に立脚する以上、自然な流れかと考えます。


   弱者の「正当」な負の感情は、強者が年を経るか、失脚するかで弱者になったときに、

  強者への攻撃行動として噴出します。そうなればかって弱者だった「新たな強者」は、

  第三者に何を言われても自らの正当性を信じて止まらず、かって強者だった「新たな弱者」は

  その生命を止めるまで攻撃を受け続けることになります。


   まとめると、最初に強弱で対人関係を捉えると、敵対関係の「素」が生じ、その「素」は、

  後々の災いの種になる、ということです。


   もし、強弱で対人関係を捉えるのであれば、強者はくたばるまで隙を一切みせず、強く

  あり続けなければならないことになります。私見ですが、正直それは大変辛い苦行だと感じます。

   私でしたら強弱で捉えず、お互いの強みを認知し、協力関係を結び、できれば仲間になって

  お互いの得手で相手の不得手を潰せるようになると、疲れにくくなるのではないか、と考えます。

 

以上