『受容』と『無批判』は異なることに気づくと疲れにくくなる

こんにちは。平穏堂院長の田上俊和です。

本日の「疲れにくくなる暮らし方」は

『受容』と『無批判』は異なることに気づくと疲れにくくなる」です。

 ※今回の記事は丸ごと田上の私見です。納得できるか否かの判断は読者のみなさんにお任せします。


 受容するとは、対象のいいところも悪いところも丸ごと受け入れることです。

 ですが、「対象の批判をしない=無批判=全てを肯定する」ことではありません。

 むしろ受容は批判と一体です。受容したのち、批判することで対象を磨き上げることができます。


 無批判でただ受け入れ続けるだけでは、じきに許容量の限界に達し、器は壊れます。

 器の修復に気力体力を使うため、疲れます。


 受容した後、対象が「自分にとって」是であるか非であるかを都度判断し、是としたものは

そのまま取り入れ、非としたものは非となる大元を探って是に裏返して取り入れます。

批判を繰り返すことで自分の器=許容量も広がっていきます。


 そうして受容と批判を繰り返すことで許容量の限界を広げながら自らにとって是とするものを

蓄積していくと、新たに直面したモノや状況に対し、その蓄積を用いて、より適切に判断することが

できるようになります。そしてその分疲れにくくなります。


従って「『受容』と『無批判』は異なることに気づくと疲れにくくなる」となります。

 

次回(2/4)は、「『やろうと思えばやれる』を止めると疲れにくくなる」です。


○批判と否定


   批判と否定も異なります。

   批判は、判定・評価であって、肯定も否定も点数づけも行います。

   a~zの事象に対し、根拠を示したうえで、それぞれ100点(全肯定)から0点(全否定)を

   付けることです。


   否定はただ非として認めないことです。100か0かでいえば0一択にすることです。


   また、否定には「行為の否定」と、「存在の否定」があります。


   人は「行為の否定」をされても身の危険を感じづらいものです。

   そして、その否定する根拠に納得すれば行為内容を改めることも十分あります。


   それに対し、人は「存在の否定」(≒人格の否定)をされると、身の危険を感じます。

  そのため、その根拠にどれだけ正当性があったとしても、防御あるいは反撃を行います。


   そのため、会話の中で相手を「否定」するときは、意図せず「存在(≒人格)の否定」に

  なっていないか?を常に意識しておくと、目的外で相手に身の危険を感じさせないようにできます。

  逆に言えば、相手を挑発する目的で「存在の否定」を行うのは究めて有効です。


以上