こんにちは。平穏堂院長の田上俊和です。
本日の「疲れにくくなる暮らし方」は
「怒らず叱らず理を説けば疲れにくくなる」です。
人は他者を動かす際、言葉を用います。
その言葉に「怒り」の感情を乗せると「怒る」になります。
ですが、「怒り」の感情を乗せて言葉を伝えると、相手は危険を感じるため反発します。
つまり「怒る」際には、相手の反発を抑え込むこむ必要があり、その分疲れやすくなります。
また、そのときの反発は抑え込めたとしても、しこりが残り、後々、怒った側が思いもよらない
タイミングで逆襲されることがあります。
お互いの立場を根拠とし、上から下へ言葉を伝えると「叱る」になります。
「叱る」ためには常に相手より「上の立場」を維持しなくてはなりませんので、その分疲れます。
また、一旦「上の立場」が崩れると、再度「叱れる」ようになるには多大な労力が伴います。
では、自分をあまり疲れさせないように、他者を動かすにはどう伝えれば良いのか。
それは以下の4つの前提を満たして話すことです。
1.相手との信頼関係を構築する。
信頼関係があるということは、相手に「自分自身が」安全だと思われているため、
その人の言葉や話も受け入れてもらえる状態です。
2.相手が得られる利益(物心両面)を示す。
人は「その瞬間の自分」のためになる行動しかできません。
(長期的にみると「ためにならない」ことでも短期的にみて「ためになる」なら行動します)
言い換えれば、物心両面で見て、どちらかで損をしてももう一方で得になれば、
人は行動します。
例えば、金銭の持ち出し(=物的損失)になったとしてもボランティアを続ける人は、
「他人の役にたつ自分」を是とする気持ち(=心的利益)があるため行動します。
名を捨てて実を取る、という言葉もあります。
ここは私見ですが、相手が得られる利益を示すときの言葉に「あなたのためなんだから」
を用いるのは悪手だと思います。
「あなたのため」という言葉には「怒ったり叱ったりする側のため」に
「あなたに命令」するという思惑が透けて見えるような気がします。
3.決定権を相手に渡す
人は、自らの決定権(自決権)を保証されることで安心し、話を受け容れる心理状態に
なります。
逆に、人は自分の決定権を奪われることを本能的に忌避します。
忌避される、ということは、言葉や話を受け容れる余地が無くなります。
4.感情を載せない
その人が持つ価値観によって、同じ事象を見たときでも、生じる感情の種類や強さは
異なります。そのため2人以上の人間が集まればおのずから感情の齟齬が生じます。
理を説くときには、その感情の齟齬が、障害となるため、障害が無いフラットな状態と
するために、感情を載せずに話します。
(生じた感情の種類や強さが一致した状態で理を説ければ、最上です。
ですが、それを狙って行うには訓練が必要です)
の4つです。
この4つの前提を充たしたうえで、なぜ、相手にその行動を希望するのか?という
「自分側の」理由も伝えると、相手に希望する行動をしてもらえる可能性が高くなります。
希望する行動をしてもらえる可能性が高くなれば、その分説得する時間も回数も少なくて
すみますからその分疲れにくくなります。
従って「怒らず叱らず理を説けば疲れにくくなる」となります。
次回(2/6)は、「『受容』と『無批判』は異なることに気づくと疲れにくくなる」です。
○相手側が行動しない理由を否定しない
こちらが希望する行動を相手にしてもらえない可能性もあります。
その際、行動しない理由を否定してしまうのは、わたくしは悪手だと考えます。
なぜなら、人は「思考の否定」を「身の危険」と捉え、信頼関係を崩してしまうからです。
ですので、否定するのではなく、受け容れた上で、自らの要望と相手が得られる利益を
伝え続け、相手の心変わりを待つのが長期的には効率的です。
○「怒り」という感情の使いどころ
1.「こころ」から「からだ」へのフィードバック
1-1.攻撃行動を起こすための「怒り」
対人関係で「怒り」という感情は「主導権争い」を優位に進める目的で行われる
「威圧」行動を強化するために使われます。「威圧」行動は攻撃行動であり、
交感神経を昂ぶらせなければ行えません。そして「交感神経を昂ぶらせる」目的で、
人は「怒り」という感情を創造します。
その攻撃によって得られる利益は「目的を達成するために必要な時間の短縮」です。
例えば、レストランで食事中、誰かがあなたのテーブルにぶつかって水がこぼれた
とします。このとき選べる行動は様々ですが、ここでは2通りに限定します。
a.大声を出してウェイターを呼びつけ拭かせる
b.周囲に配慮してウェイターを小声で呼び、拭いてもらう
両者とも目的は「こぼれた水をウェイターに拭いてもらう」ことです。
その目的に「できるだけ短い時間」という条件を付けると、人はa.を選択します。
そして、大声を出すために、人は「怒り」をねつ造します。
私見ですが、対人関係で「怒り」を用いるのは長期的に不利益を被る可能性が
大きくなるため下策だと考えます。
1-2.防御行動を起こすための「怒り」
人は自らの生命活動が衰えたとき、言い換えると「心が落ち込んでいる」あるいは
「疲れている」とき、「身を守る」つまり防御行動を起こすため、交感神経を
昂ぶらせます。その「交感神経を昂ぶらせる」目的で、人は、「怒り」という
感情を創造します。
これも私見ですが、生命活動が落ち込んでいるのを補う目的で「怒り」の感情を
創造することは、きわめて有用だと考えます。
例えば非常な悲しみに沈んでいるとき、自分でない誰かに責任を被せ、
その誰かに対して怒りをぶつける、というような状況です。
もっとも、ぶつけられる方はたまったものではありませんが。。。
1-3.東洋医学的視点での「怒り」
「怒り」という感情は、こころとからだの「滞り」を押し流す力を生み出します。
例を挙げると、「高血圧」が「滞りを押し流す力」の一つの現れです。
「滞り」が無い状態で、他者への攻撃行動を起こすために「怒り」を
創造すれば、必要以上に巡りが良くなり、下手をすれば血管が破れる事態に
陥ります。率直に言えば、普段から「対人関係」に「怒り」の感情を用いることが
多い人は、からだに不要な負担をかけ続けていると言えます。
2.「からだ」から「こころ」へのフィードバック
逆に「交感神経が昂ぶっている」と「怒り」という感情が生み出されることもあります。
これは「からだ」から「こころ」へのフィードバックで、端的に言えば
「常にイライラしている」人は「怒りっぽい」ということです。
その状態は「こころ」に不要な負担がかけ続けられていることに他なりません。
ですので、可能な限り「からだ」の痛みを減らすor外部からの刺激を少なくすることで、
「こころ」への不要な負担を減らせます。
以上
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