こんにちは。平穏堂院長の田上俊和です。
本日の「疲れにくくなる暮らし方」は
「『人は正しさでなく安全を求める』ことを知ると疲れにくくなる」です。
人は生物の本能として安心・安全を求めます。
往々にして「正しさ」イコール「安心・安全」となるため
「人は正しさを求める」と認識することは、必ずしも間違いではありません。
ですが、「正しさ」は「状況」と「対象」が限定されて初めて「安心・安全」と一致します。
そして、想定外の「状況」「対象」の場合、「正しさ」は「安心・安全」と一致しません。
つまりどんなときでも人は「正しさ」を求めると考えていると、「正しさ」でなく
「安心・安全」を求める人々に失望し、ストレスを感じ、そのため疲れやすくなります。
ここで、人は「正しさ」でなく「安心・安全」を求めるものだ、と認識できていれば、
失望することもなく、疲れにくくなります。
従って「『人は正しさでなく安全を求める』ことを知ると疲れにくくなる」となります。
次回(1/13)は、「計画するだけで満足せずに実行して結果を出すと疲れにくくなる」です。
○「正しさ」でなく「安心・安全」を求めることの実例
1.「子供は地域全体で育てましょう」という命題
この命題には、地域全体で育てることで、子供が様々な人々とふれあい、
いろいろな経験をすることができる、という利点があり、大方の人には
「正しい命題である」と認識されると思います。
ですが大前提として「何かあったとき責任をとる保護者」がいる状況、
そして対象が「素直で道理のわかる子供」であること、という条件があります。
もし「子供を放置し、何かあったら他人に責任を押し付ける親」がいる状況で、
かつ「自分が一番偉いと考え、謝礼の言葉の一つもなしに一方的な奉仕を求める子供」では
どうでしょうか。「正しい」命題でいるままでしょうか。「安心・安全」でしょうか。
そのような状況下では、関わる人々はまず自らの「安心・安全」を求め、
「正しさ」を無視し、「地域全体で育てるのはやめましょう」と言うのではないか
と私は考えます。いかがでしょうか。
2.家電製品から出る電磁波について
古くはテレビのブラウン管や電子レンジ、最近では携帯電話などからでる電磁波が
人体に有害ではないか、という議論があります。
実際のところ、有害である、という統計は出ていません。
つまり、「人体に有害ではない」(少なくともその証拠がない)のが「正しい」のですが、
人によっては、自分の体験に基づく直観で「不安・危険」を感じ、家電製品から出る
電磁波から身を守ろうとします。
人が「正しさ」を求めるのであれば身を守る必要はないと結論づけると思われます。
ですが、「安心・安全」を求めるため、身を守るのを是とするのです。
以上
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