こんにちは。平穏堂院長の田上俊和です。
本日の「疲れにくくなる暮らし方」は
「『してもらって当然』のことなど無いことに気付くと疲れにくくなる」です。
人は、必ず「自分のためになる(=善)」行動を行います(※)。
ですから、人が他人に奉仕するのは目的を達成するための手段の一つです。
奉仕の目的には、「貢献感(=自己承認)を得る」「(奉仕対象に対する)愛しさを表現する」
「金銭を得る」「奉仕対象を自分に依存させる」「社会的評価(=他者承認)を得る」などがあります。
(※)「自己犠牲はどうなの?違うんじゃない?」と思われる方がいらっしゃると想定し、
その回答を以下で示します。
自己犠牲は『他者を犠牲にするより、自分が犠牲になったほうが「ラクだ」』という、
その時点での精神的メリットを選択した結果の行動です。思考停止の行動とも言えます。
「無私」や「利他」の行為も、自分が属する共同体への貢献感を得て自分の価値を
確認したいが故の行為であり、「その人にとって」の「善」の行為です。
ここで、『他人から奉仕「してもらって当然」と考えている人』を考えます。
人は、必ず「自分のためになる(=善)」行動を行いますから、
他人が、他人自身の目的によって行っている奉仕行動を「してもらって当然」と考えるのは
妄想にすぎず、いつ崩れてもおかしくない砂上の楼閣です。
ですので、『してもらって当然』だと思い続けるのは、他人の都合(目的が達成されるなど)で
状況がひっくり返された際、にっちもさっちも行かない状況になる可能性を高め続ける行為です。
そのままでいれば、他人の目的が達成され、状況がひっくり返されたとき、何もできない人間が一人で
放り出されます。放り出された人は、全く思い通りに行動できなくなり、そのストレスによって
疲れます。そのストレスを和らげるには自立するしかありませんが、それには時間がかかります。
『してもらって当然』のことなど無いことに気付けば、他人に依存せず、自立するようになります。
そうなれば他人の奉仕が突然(※)無くなっても、影響を受けにくいため、疲れにくくなる、と言えます。
(※) 奉仕される側から見れば突然でも、奉仕する側から見れば計画されたタイミングです。
人はひとりで生きている訳ではなく、必ず誰かと、そして社会ともに生きています。
そこに過度の依存があれば、依存相手が倒れたときに共倒れになりますので、
それぞれ自立したうえで、同じ目的に向かって協力すると、疲れにくくなると私は考えます。
従って「『してもらって当然』のことなど無いことに気付くと疲れにくくなる」となります。
次回(1/10)は、「『自分が行った選択』を覚えておくと疲れにくくなる」です。
以上
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