こんにちは。平穏堂院長の田上俊和です。
本日の「疲れにくくなる暮らし方」は
「非を認めることは負けではないことに気付くと疲れにくくなる」です。
人は、「自分の価値が否定されること」を避けるため、「負ける」ことを嫌う傾向があります。
そして、「自分の非を認めること」を「負けること」と同一視する人々も一定数います。
これは、「自分の非を認める」イコール「自分の価値が否定される」という等式が成り立つという
考え方です。
この等式が真実であると認識している場合、自分の非を認めることができず、その代償行為として、
他人に非を求めざるを得なくなるため、他人との衝突が多くなり、その結果疲れやすくなります。
ここで「自分の非を認め」ても、「自分の価値」は低下しない、つまり「負けではない」ことに
気付くことができると、自分の非を直視し、他人に非を求めずに済み、望まぬ「他人との衝突」を
避けられるため、疲れにくくなります。
従って「非を認めることは負けではないことに気付くと疲れにくくなる」となります。
次回(12/18)は、「悲しむときは思い切り悲しんでしまうと疲れにくくなる」です。
○主張の正しさは勝ち負けとは無関係である
本来、人の主張の正しさは、勝ち負けとは関係ありません。
貴方が「正しい」と思うのなら、貴方には「正しい」と思う根拠があるのですから、
他人がどんな意見であれ、そこで完結する話です。根拠が「勘」であっても代わりありません。
そして、他人の意見には、他人なりの根拠があり、貴方と他人が別人格である以上、
意見が異なるのは自然なことですから、そこに勝ち負けは無く、そのときどきの状況に応じて
採用される意見が変わることになるでしょう。
しかし、多くの人は「自分の正しさ」を「他人を屈服させる」という目的を、
遂行するための道具として使おうとします。
その場合「自分の非を認める」とその「道具」の正当性が崩れ、
「他人を屈服させられなくなる」、つまり「負け」を認めざるを得なくなるため、
「自分の非を認める」ことを病的になまでに避けようとするのです。
従って「自分の正しさ」を他人に押し付けて屈服させようとすることを止めると、
勝ち負けを意識せずに済むようになります。
ただし、最初から「相手を屈服させる」ことを目的とするのであれば、
「自分の正しさ」を主張し、「相手の非」をあげつらうことは非常に効果的な手段です。
以上
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