こんにちは。平穏堂院長の田上俊和です。
本日の「疲れにくくなる暮らし方」は
「『人は善意でしか他人を害せない』ことに気付くと疲れにくくなる」です。
人は、「自分」にとって「善かれ」と思ったことしか実行できません。
ここで、「自分」とは、その人個人のみならず、その人が所属する共同体をも含みます。
その共同体とは、友人、家族、同僚、仲間、会社、国家、宗教、人類、世界などです。
そして、「自分」に「善かれ」と思ったとき、人はどこまでも傲慢に、そして残酷に、
「自分」と敵対する「他人」に「害意」を向けます。
極端な例では、宗教者による「自爆テロ」。
身近な例では、「悪気はなかった」と言いながら、他人を害する人々。
いずれも「自分」にとって、「善かれ」と思って他人を害しているからこそ。
「信じる神のため」「悪気はなかった」とは本心であり、その人にとっては言い訳ではないのです。
害された相手からすれば、説得して止めさせたいところですが、
「善かれ」と思っている人間を「敵対している」人間が説得するのは大変困難です。
何故なら相手は「自分は正しいことをしているのだから止める理由が無い」と考えるからです。
では「害されるのを回避する」目的を持ったとして、その手段はどのようなものが考えられるか。
それは、相手が「善かれ」と思う理由を潰すことです。
相手が「善かれ」と思う理由は様々です。その内訳には嗜虐嗜好を充たしたい、相手を依存させたい、
なんとなく気に喰わないなどがそれこそ星の数あります。
それらに共通するのは「こいつを害すると自分に得がある」という思考です。
従って「こいつを害すると自分が痛い目に合う(可能性がある)」と思わせれば、
相手が「善かれ」と思う理由を潰せます。
現実に落とし込むと、武道で強くなるとか、法律に強くなる、または強者の庇護下に入るなどで
実現できます。
上記から、他人から害されているとき、相手が「善意」で動いていることに気付き、
その「善意」の裏に隠された目的を読み解き、対処することで傷つくことが少なくなり、
その結果、ただやられっぱなしになっているよりも疲れにくくなる、となります。
従って「『人は善意でしか他人を害せない』ことに気付くと疲れにくくなる」となります。
次回(11/2)は、「自分に合う健康法を続ければ疲れにくくなる」です。
以上
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