人も自然の一部であることに気付くと疲れにくくなる

こんにちは。平穏堂院長の田上俊和です。

本日の「疲れにくくなる暮らし方」は

「人も自然の一部であることに気付くと疲れにくくなる」です。

大前提:人は、敵対する対象が多ければ多いほど、気力体力を消費し続けるため、疲れる。

小前提1:人は、自然から生まれた。

小前提2:人の営みは自然の在り方を変える。

小前提3:人が変えた自然の在り方の是非を評価するのも人であり、自然はただそこに在るのみである。


小前提1から、人は自然の一部であり、小前提2、3から、その人が行う営みによって変えられる

自然の在り方の是非を問うのは人同士でしかないとなります。

つまり、人が生み出したものを自然のものでないというのは、ただ「そうしたい」という目的を

達成するための手段でしかない、となります。

従って、人が生み出したものも自然のものと捉えることで、人工のものも自然のものも同等に受容する

ことができるようになります。すると、人工のものに敵対することが無くなりますから、

大前提から、その敵対が無くなった分、疲れにくくなる、となります。


以上から「人も自然の一部であることに気付くと疲れにくくなる」となります。


次回(10/19)は、「自分が本当に大切にしたい価値観を中心に据えて行動すると疲れにくくなる」です。


○自然についての私見


   人工物が含まれない自然食品は良いものだ、という思想があります。

  ですが、その思想は一部、認識漏れがあります。

   一つ、多くの自然食品は人の手で栽培され、加工され、流通に乗って消費者に届く以上、

      それは人の営みの産物であり、人工物であるということ

   一つ、自然にも毒物は多数存在する。また人工物だからといって毒でないものも多数存在する。

  つまり、自然食品であるから全て是、とするのではなく、個々の食品に対し是々非々を

  問わなくてはならないと。

   正直面倒ではありますが、その面倒を嫌った盲信は不利益をもたらすだけだと、私は考えます。


   また、自然の怒りを受けるから自然破壊を止めるべき、という思想も一部認識漏れがあります。

  自然は意図してしっぺ返しをすることはありません。ただ物理法則に従うのみです。

  例えば、山から木を抜いてその後の大雨で鉄砲水が発生したとして、それは山の祟りでも

  なんでもなく、然るべき原因があって起こった結果にすぎません。

   つまり「立場の異なる人」のうち「自然を搾取して自分の利益としたい」と考える側が

  引き起こした現象でしかありません。そしてそれを防ぐには人同士がお互いの利益を調整し、

  話し合うことしか無いと、私は考えます。


   私は、自然は人の敵でも味方でもなく、ただ其処に在り続けるものだと考えます。

  そして人は、その一要素であると。

   従って、人が出来るのは自分達の首を絞めることはできても、自然の首を絞めることは

  できないと考えます。


以上