こんにちは。平穏堂院長の田上俊和です。
本日の「疲れにくくなる暮らし方」は
「他人の感情に隠された目的を理解できると疲れにくくなる」です。
大前提:人は、ストレスを感じると、対抗するために気力体力を消費し、その結果、疲れる。
小前提1:人は、生物の本能として、安全・安心を求める。
そのため危険・不安に対してはストレスを感じ、その状況を回避しようと試みる。
小前提2:人は、他人から感情をぶつけられ、その原因が理解できない場合、不安を感じる。
小前提3:感情は、人が目的に向かう「力」を増幅する触媒である。
しかし、顕在意識下ではなく、潜在意識下で自動的に選ばれることが多い。
※小前提3は当記事の後半で説明します。
小前提2と3から、人は、自らの目的を成し遂げるために他人に感情をぶつけますが、
その目的は本人も意識できていないことが多く、他人は原因不明の攻撃と捉え、結果、不安を感じます。
小前提1から不安はストレスになり、大前提により、疲れます。
ここで、感情をぶつけられた「他人」側が、
「ぶつけてきた「本人」がどのような目的を持っているのか」
「どういった知識と経験から”ぶつけてきた感情”を選択したのか」
を理解できれば、不安が安心に変わる可能性が高く、その結果、ストレスを感じにくくなるため
疲れにくくなります。
(実際に理解するには「共感」という技術が必要になります。興味のある方はWebで検索してみて下さい)
従って、「他人の感情に隠された目的を理解できると疲れにくくなる」となります。
次回(8/29)は「分かるために分けてまた組み立てると疲れにくくなる」です。
※「感情は、人が目的に向かう「力」を増幅する触媒である」ことの説明
1.怒りと悲しみは、相手を従わせるために選ばれる感情の一位と二位(独断と偏見)
人が行動するときは、必ずなんらかの目的をもって行なわれます。
ただし、その目的が顕在意識では認識されず、潜在意識でのみ認識されることも
往々にしてあります。
そして、人は、過去の経験と、見聞した知識から、その目的を行うための力を
増幅する触媒を見つけます。それが「感情」です。
たとえば、反抗期の子供に対し、「あなた」はどうされますでしょうか。
いくらいってもいう事を聞かない子供に対し「怒る」でしょうか。
それとも「悲しむ」様子を見せるでしょうか。
はたまた諦め、「無関心」を装うでしょうか。
これらは全て、「反抗期の子供を自分に従わせる」目的を持ち
「従わせる」ための力を増幅する触媒として「感情」が使われる例です。
どの感情を選ぶかは、「あなた」の知識と経験から、「あなた」が最善と思われる感情を、
「あなた」が自動的に選んでいます。
「怒り」は「威圧」する力の増幅、「悲しむ」のは「相手に罪悪感を抱かせる」力の増幅、
「無関心」は「拒絶」する力の増幅に使われる触媒です。
ここで重要なのは、「感情を潜在意識下で自動的に選んでいる」ことを認識できると、
顕在意識下で「どの感情も選ばない」ことを選択できるようになるということです。
人は、相手を一個の人間と認め、相手が「自ら変わることに利がある」と、納得するよう
説くことが出来ます。
そのとき、感情による力の増幅は争いの元になるだけで、不要であるといえます。
2.無感情な子供
私は、虐待する親や、他人に迷惑を掛ける親に育てられた子供の多くは
「無感情」になることを、知識として存じております。
なぜ無感情になってしまうのか。
それは、虐待する親や、他人に迷惑を掛ける親に対し、感情で増幅した「力」で
阻止しようとしても阻止できないことを繰り返し体験し、
「感情」が無力だと経験してしまったからだと私は考えます。
従って、「感情」を取り戻すには、再度「感情」が有効だと思えるような環境に
住んでもらえばよいと考えます。
最も、「感情」で「力」を増幅せずとも、お互いの「目的」を尊重し、
どちらにも利がある結果をもたらせるよう、話し合える環境がより望ましいと思います。
3.「感情」が「知識・経験」によるものであることの傍証
「感情」が「知識・経験」によって自動で選ばれることの傍証はいくつかあります。
ひとつは、「恐怖症」です。
「恐怖症」は「病気」ではなく「その状況では恐怖することが有効だ」と
思いこんでいるだけですが、必ず「その恐怖が有効だ」という認知に至る経緯があります。
また、別なひとつは、「怒り散らす人」です。
「怒り散らす人」は、人を操作する目的で「怒り」ます。
それは「怒りの感情」を見せたとき、相手が動いた、という成功体験を得た
(おそらくは複数回)ため、ないし、高揚感を認知してしまったためだと思われます。
人を操作する目的でしか「怒り散ら」さないため、操作対象でない人、
たとえば「自分より偉い人」「自分が好きな人」に対しては、決して「怒り」ません。
その場合何故に「怒ることが出来ない」かは、本人も意識出来ないと思います。
例外として、「怒る」ことによって「高揚感」を得てしまった人は、
その「高揚感」を得たくて、無差別に「怒り」ます。
同類で「やたら悲しみ崩れ落ちる人」や「へんに強がって見せる人」も、
そういう感情をみせたとき、自分が持っていた目的に合致する反応を得られたという
成功体験に基づていると考えられます。
穏やかなところでいうと、「衝動買い」も、「感情」が「知識・経験」によるものの
傍証です。
例を挙げますと「あんなに”良いもの”が、あんなに”お安い”のよ!だから買わなきゃ!!」
という感情が生じるためには、「あんなに”良いもの”」という知識がまず必要です。
そして「あんなに”お安い”」=「だいたいの相場を調べている」という経験が必要
となります。
4.みんな仲良く
当記事では「感情」に否定的なことばかり書いてきましたが、
「感情」は「仲良くする」「協力する」という肯定的な力を増幅する触媒ともなりえます。
私は、できれば、潜在意識下に存在する過去の知識・経験にとらわれず、
はっきり意識した目的に沿って、仲間と「仲良く協力」する方向に「力」を
増幅する触媒として「感情」を使えるようにしたいと考えます。
上記1から4を以て「感情は、人が目的に向かう「力」を増幅する触媒である」ことの
説明とします。
以上
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