善悪は人や状況によって異なることを知ると疲れにくくなる

こんにちは。平穏堂院長の田上俊和です。

本日の「疲れにくくなる暮らし方」は

「善悪は人や状況によって異なることを知ると疲れにくくなる」です。

 

大前提:人はストレスを感じると、対抗、ないし復元するために気力体力を消費し、

    その結果、疲れる。

小前提1:自分と自分以外(以下、他者)は異なる価値観を持つ

小前提2:価値観に応じ、善悪は定められる

小前提3:人は、自分の主張が他者に受け入れられないとき、ストレスを感じることがある

 

上記前提から、「善悪は人や状況によって異な」り、それを知ることで「疲れにくくなること」を説明していきます。

 

まず、小前提1と2から、善悪は、人や状況によって異なることが言えるため

善悪の価値観を主張した場合、他者に受け入れられないことは十分にあるといえます。

小前提3から、人は、自分の主張=自分の善悪の価値観が、他者に受け入れられないとき

ストレスを感じることがあるといえます。

 

「善悪は人や状況によって異なる」ことを予め知っていれば、

自分の善悪に関する主張が「自分にとって正しくても」、

「他者にとっては正しくない」、つまり受け入れられないことが十分にあると理解し、

そこで話が完結するため、ストレスは生じません。

 

従って、上記の論理展開および大前提から、

「善悪は人や状況によって異なることを知らないとストレスを生じ、疲れる」が

「善悪は人や状況によって異なることを知ることでストレスが生じず、疲れにくくなる」

となります。

 

次回(8/10)は「他人の価値観に従わずに生きると疲れにくくなる」です。

 

○感銘を受けた文章のご紹介

以下は「嫌われる勇気」(ダイヤモンド社 岸見一郎・古賀史健)の抜書き(P107~P108)です。

この一節を読んだとき、私は、心が打ち抜かれました。

「嫌われる勇気」には、他にも良いこと(@田上の価値観)しか書かれてませんので、

ぜひご一読ください。

========================================

哲人:人は、対人関係のなかで、「わたしは正しいのだ」と確信した瞬間、すでに権力争いに

   足を踏み入れているのです。

青年:正しいと思っただけで?いやいや、なんて誇張ですか!

哲人:わたしは正しい。すなわち相手は間違っている。そう思った時点で、議論の焦点は

   「主張の正しさ」から「対人関係のあり方」に移ってしまいます。

   つまり、「わたしは正しい」という確信が「この人は間違っている」との思い込みに

   つながり、最終的に「だからわたしは勝たねばならない」と勝ち負けを争ってしまう。

   これは完全なる権力争いでしょう。

青年:ううむ。

哲人:そもそも主張の正しさは、勝ち負けとは関係ありません。あなたが正しいと思うのなら、

   他の人がどんな意見であれ、そこで完結するべき話です。

   ところが、多くの人は権力争いに突入し、他者を屈服させようとする。

   だからこそ、「自分の誤りを認めること」を、そのまま「負けを認めること」と

   考えてしまうわけです。

青年:たしかに、その側面はあります。

哲人:負けたくないとの一心から自らの誤りを認めようとせず、結果的に誤った道を

   選んでしまう。

   誤りを認めること、謝罪の言葉を述べること、権力争いから降りること、

   これらはいずれも「負け」ではありません。

   優越性の追求とは、他者との競争によっておこなうものではないのです。

青年:勝ち負けにこだわっていると、正しい選択ができなくなるわけですね?

哲人:ええ。眼鏡が曇って目先の勝ち負けしか見えなくなり、道を間違えてしまう。

   われわれは競争や勝ち負けの眼鏡を外してこそ、自分を正し、自分を変えていくことが

   できるのです。

 

以上