”気”とは何か


 平穏堂で扱う”気”は「物理法則にしたがうすべての物質・空間・力(エネルギー)」です。

言い換えれば”気”は「自然に存在する万物、森羅万象」であり、「超自然な事象」ではありません。

 

 「物理法則にしたがうすべての物質・空間・力(エネルギー)」を”気”として概念化し、一元的に扱う目的は、複雑な自然現象を単純化することで、少ない労力で把握し、操作しやすくするためです。

 

 

2.”気”の性質

 ”気”は最初の状態”太極”を持ちます。”太極”はひとつです。”気”の太極は”両義”を生じます。両義は便宜的に陰陽とされます。両義はさらに四象(老陰、少陰、老陽、少陽)に分かれ……といったように無限に分割可能です。その無限に分割した最終結果が「森羅万象」です。

 言い換えると「森羅万象」を積分したものが「気」であり、「気」を微分すると「森羅万象」になると言えます。

 

 ”気”は無限の濃淡を持ちます。ひとつの”気”に注目して隣り合った場所を比較したとき、濃いほうを便宜的に”陰”、薄いほうを”陽”として分けます。濃い方(陰)は動きづらく、薄い方(陽)が活発に動きやすいと考えます。肌つやでいえば色味が濃く暗い方が陰で薄く明るい方が陽です

 

 ”気”は視点によって直接見えたり、間接的にしか見えなかったりします。ヒトを太極としたとき直接見える皮ふの表面は陽です。皮膚の表面以外の内臓は陰です。

 天体や素粒子など観測精度によって見える見えないが変わる場合(極小極大、極近極遠)などもあります。

 表面伝導振動や超音波反響、あるいはX線などで非破壊検査をしたり、あるいは切断等で直接見れるようにするなどの手段で観測が可能になる場合もあります。

 

 ”気”は相互作用を起こします。そのため直接見えない”気”も間接的に観測したり、類似の”気”から演繹的、あるいは帰納的に存在やその様子を予測・推測したりできます。

 ヒトでいえば直接見えない内臓の調子である”陰”の”気”を、直接見られるそのヒトの動作の通常時との比較、各種の痛み(動作時痛、自発痛、圧痛など)、熱感/冷感、かゆみ、あるいは尿検査などの結果数値といった”陽”の”気”から推測できます。

 

 ”気”には概念上、序列を持った重層構造を持たせます。序列を持った重層構造を持たせることによって、”気”に複雑な自然現象を象徴させることが可能になります。易占での六十四卦が重層構造の例です。

 一例を挙げると、陽の”気”のなかでも見えやすい範囲は陽の陽、見えづらい範囲は陽の陰、というようにひとつの陽をその時点の太極として両義を生じさせ重層構造を作りこんでいきます。

 

3.”気”の治療への応用

 平穏堂では、ヒトが生き続けるために「呼吸と食事によって生成し、各臓器で消費している」”気”を「精気」と呼びます。また、ヒトが訴える症状はすべて「精気の虚」(=精気の不足)が原因で生じると仮定しております。

 

 精気が虚す原因としては生成量の減少、流通の渋滞、特定部位での消費量増加などが考えられます。

 生成量が減少すればヒトは不足に適応するため機能低下し対応します。

 流通が渋滞すれば単位時間あたりの供給量が不足し、ヒトは機能低下して対応します。

 生成量が上昇せずに特定部位で消費量が増加すれば他の部位への供給量が不足しますからヒトは他の部位の機能低下で対応します。

 この機能低下がさまざまな症状としてあらわれます。

 

 平穏堂では、ヒトの適切な部位をはり・きゅう・手技といった適切な手段・適切な順序で刺激することで、精気の虚を補うことができると考えています。そして精気の虚が補われると症状が改善されると考えております。

 

 

 ヒトひとりを太極としたとき「精気」はヒトが直接見ることができない”陰の気”です。「精気」によって維持される「生命活動」がヒトが直接見ることができる”陽の気”です。

 平穏堂の治療で注目する「生命活動」には「肌の温かみ」「肌つやの良しあし」「呼吸の深浅」「声の調子」「動きの速さ遅さ」「古傷の状態」などがあります。それら直接目に見える事象”陽の気”から解剖学生理学などの知識を組み合わせて、直接見ることのできない”陰の気”である「精気」を間接的に観測します。そして精気の生成量、流通状況、消費量のいずれに問題があるのかを検討します。施術中は問題を起こしている部位に意識を集中させ刺激に対する反応が該当部位で起こるようはりやきゅうを操作します。

 

 古傷を含む外傷は精気の流通経路(=経絡)に渋滞を起こすため、最優先の施術対象です。また急性の外傷は特定部位で精気の消費量を増加させます。内臓の炎症は精気の生成量を減少させます。

 人間関係のストレスや懊悩は精気の生成量の減少と消費量の増加、さらには流通の渋滞も引き起こします。これらははりきゅうでの一時的な刺激に加えて日常で継続できる養生が必須です。